今年も黒アゲハがやってきて、私を悦ばせてくれる。
緑を飛びまわる光景に慣れた頃、黒い姿は見えなくなる。
季節が変わったことを知る。
今日も空は高く青く、眺めるほどに表情を変える。しかし、
私に見えるのはそこまでで、宇宙の果ては見ることができない。
夜空に際だつあの星も、遙か昔に消えてしまった光なのかもしれない。
私たちはそれほど多くのことを知っているわけではない。
知らないことはむしろ増えていき、確かに言えることは
今ここで、こうして時を過ごしているということなのだ。
人は素晴らしい知能を育み、ものごとを進めてきた。
知識がふくらむにつれ、しだいに大きな成果を望むようになり、
特別な経験を期待する。目に見える結果は自分を認めやすく
人々はそれに安心する。
人は、人が作った法則に匿われている。
それは時に束縛となり、ものごとの価値を見えにくくする。
私たちに必要なのは特別な結果とは限らない。
素晴らしい人は有名な人だけでなく、楽しみのありかは
刺激的な場所だけに存在するのではない。
私たちは何を大切なものとするのか選ぶことができるのだ。
あたりまえすぎて見えにくい、いつもの時間の中に多くの
始まりと終わりがある。
毎日の淡々としたできごとは、そのひとつひとつが支え合い、
一日を、その人を作り上げていく。
その積み重ねには、しなやかな強さが貯えられ、今日の悦びを
力のひとつとし、せつないできごとは強さの糧と変えていく。
それもまた、人だけが獲得した叡智と言えるのかもしれない。
まっ白な気持ちになって何が大切か考える。
自分にとって、すべてのものにとって。
選んだものは時間を作り上げ、その先をまた続けていく。
見過ごしがちな存在を見つめ、空白を暖める。
自分の時間を思い、記憶に留める。
黒アゲハはきっと来年も現れるだろう。
そして、今日の終わりは明日への予告となることを知る。
作家テキスト(ダブル・リアリティ展より)