Kaneda Mio


日毎の文

アメリカのインディアン、ポーニーが河川を歩く際に唱える祈りがある。その「風への祈り」は、足を水につけ、その冷たさが「体のぬれたところだけ感じられるとき」、「体のあちこちに感じられるとき」、「皮膚の全面に感じられるとき」に分かれるそうだ。そうして自然の秩序を確かめて祈り、安全に歩を進め、生きるための注意を払う。
私はこの祈りについての記述を読み、冷たさの差異を思い浮かべた。みっつの「冷たさ」は、経験に訴える確かな状況をあらわし、その違いを明確に伝えている。自然に対する知識を示しながら詩的とさえ思えるこの「冷たさ」の類別は、場合によっては文学や記録を彩る言葉にもなろうが、なによりも彼の地で暮らす人々にとって必要な、切実でありのままの写実表現なのである。
生きるために必要な表現を確かな形で絵画にあらわすことができるのだろうか。毎日受け取る自然の秩序を感じながら進んでみる。

(参考資料:野生の思考 クロード・レヴィ=ストロース)


back to index